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日別アーカイブ: 2025年5月16日

注意が世界をつくり、錯覚が“自分”を生む

見えていたはずのものが、なぜ見えなかったのか

――「現実」は、脳が見せている美しい幻なのかもしれない

あなたは今日、スマホを何度見ただろうか?

ホーム画面のアイコン、ロック画面の時計、
SNSの通知――それらを「見ていた」と言えるだろうか。

 

この問いが引き起こすのは、単なる“うっかり”ではない。

それは私たちの脳の、根本的な機能に関わる問いである。

私たちは「見えている」と思っていても、実際には“選んでしか見ていない”のだ。

 

注意。それは、意識のレンズである。

 

心理学者マイケル・ポズナーの「注意の3機能モデル」は
この構造を解き明かしてくれる。

警戒(alerting)――何かが起こることを脳がスタンバイする準備態勢
方向づけ(orienting)――特定の刺激に注意を向ける調整作用
実行制御(executive control)――不要な情報を排除し、重要な対象に集中する機能

 

この注意の3要素は、日常のあらゆる判断の裏に潜んでいる。

そしてこの仕組みには、ある“落とし穴”がある。それが、「不注意盲」だ。

たとえば、有名な“ゴリラ実験”。
白いシャツの人がバスケットボールを何回パスしたか数えてください――
そう指示された人の多くが、途中で画面中央を横切るゴリラの着ぐるみに気づかない。

これは「不注意盲(inattentional blindness)」と呼ばれる現象。
注意が向いていない対象は、目の前にあっても“存在していない”のと同じになる。

つまり、見えていないのではない。「見ようとしていない」のだ。

 

これは私たちの“現実”そのものを問い直すきっかけになる。
なぜなら、私たちは脳が選んだ情報の一部だけを“現実”と呼んでいるからだ。

 

この注意の限界を巧みに突いてくるのが、マジシャンやスリ、催眠術師である。
たとえば、アポロ・ロビンスというスリの達人は、
TEDの舞台上で観客の時計や財布を堂々と奪いながらも、
その動きには誰一人として気づかない。

 

彼が観客に行うのは、単なる“目をそらす”ことではない。
彼は、観客の「注意そのもの」を乗っ取り、別の思考や記憶のプロセスに引き込む。

 

たとえば、観客に「携帯電話の右下のアイコンは何ですか?」と質問する。
その瞬間、脳内では“過去の記憶ファイル”を探しに行くプロセスが始まり、
目の前で起きている現実への注意は一時的に消える。

 

この状態こそが“隙”なのだ。
そして、催眠術にも同じ構造がある。

 

「昨日の夜、何を食べましたか?」と聞かれたとき、あなたの意識は過去に戻る。
「今ここ」にいた注意は、“映像と感覚の回想”に引き込まれ、
その間に外部の現実は見落とされやすくなる。

 

つまり、人の注意を“内側”に向けさせることで、外の世界をコントロールできる

この構造は、マジックでも催眠でも、心理誘導でも共通している。

 

重要なのは、脳は一度にひとつのモードしか処理できないという点だ。
「記憶を再生しながら、今の現実も正確に把握する」ということは苦手なのだ。

この仕組みをさらに深く理解するには、
「予測処理理論(predictive coding)」という視点が有効だ。

これは、脳が五感から受け取る情報を“受動的に受け取っている”のではなく、
むしろ先に“予測”を立てて、それに合った情報だけを採用しているという考え方である。

 

つまり、脳は「現実を見ている」のではなく、
「期待に合う現実だけを見せている」

 

この理論は、錯視や幻覚のメカニズムも説明してくれる。
たとえば、静止しているのに“動いて見える”画像や、
存在しない色を感じる視覚トリック。

それらは脳の“予測”と“感覚”が一致しないときに起こる“ズレ”の産物だ。

この「ズレ」に気づいたとき、
人ははじめて「見えていなかったもの」に目を向けるようになる。

 

注意とは、単なる“集中”ではない。
それは、現実をどう構成するかを決めるフィルターだ。

そして、そのフィルターがゆがんだとき、
あなたの現実もまた、少しずつ違う姿を見せはじめる。

この“ゆらぎ”を、意図的に体験できる場所がある。
それが、私たちの空間「Spread One」だ。

ここでは、催眠術・マジック・心理誘導・視覚の錯覚・瞑想体験などを通じて、
普段あなたが当たり前だと思っていた“現実”が、少しずつほぐれていく。

見ていたはずのものが、なぜか見えなくなる。
逆に、見えていなかったものが、鮮やかに立ち上がってくる。

そんな瞬間を、あなた自身の感覚で、どうか一度体験してみてほしい。


“自分”という幻――脳が生み出す主観のリミックス

 

脳が“現実”を構成している。

そう聞いたとき、多くの人は視覚や聴覚の話だと思うかもしれない。
だが、脳が“創っている”のは現実だけではない。
あなた自身――つまり「自分という存在」すら、脳が編集した物語でできている。

 

認知科学では「自己モデル」と呼ばれる概念がある。
これは、脳が自分を“こういう存在である”と把握している仮のイメージだ。
名前、年齢、性格、過去の記憶、未来への展望、
それらすべてをつなぎ合わせた“脳内の私”だ。

 

しかしこのモデルは、絶対ではない。
記憶は書き換わり、感情は揺れ動き、自己像は時間とともに変化する。
その流動性こそが、注意と予測の仕組みと深く結びついている。

 

予測処理理論(Predictive Coding)によれば、
脳は「今、自分はこうである」という情報を、
感覚・思考・過去の経験から“もっともらしく”統合し、
その期待値に合った“自分”だけを見せる。

つまり、“本当の自分”がいるわけではなく、
“予測された自分”がリアルだと感じているのだ。

この構造は、日常ではほとんど意識されない。

だが、ある種の体験――催眠やマジック、あるいは強い感情の瞬間に、
この“自分”の感覚がズレたり、崩れたりすることがある。

 

たとえば、「自分の手が自分の意志で動かない」と感じたとき、
人ははじめて「自分とは何か」を疑いはじめる。

催眠状態に入った人が「片手が天井に引っ張られていく」と感じるのは、
まさにこの“自己モデルのほころび”が起きている瞬間だ。

 

脳の編集室で何かがずれたとき、
意識はいつもと違う現実に触れる。

 

この体験を深く支えているのが、身体感覚だ。

私たちは頭で考える前に、体で世界を感じている。

呼吸、皮膚の温度、重力、視線の動き――
それらがすべて、無意識下で「現実の安定」を支えている。

興味深いことに、脳は私たちが「動かそう」と意識するより前に、
すでに身体を動かす準備を始めていることが、神経生理学の研究でわかっている。

これは「運動準備電位(Bereitschaftspotential)」と呼ばれ、
手を挙げる、足を動かすといった動作の約1秒前から、
脳の中ではすでにその行為の準備が始まっている。

言い換えれば、「感じる身体」は「考える意識」よりも一歩先に、
現実に触れているということだ。

そのわずかな時間差の中に、私たちの“自分とは何か”を見つめ直すヒントがある。

そして、もしこれらの感覚に注意を向け直せば、
世界の“見え方”は、驚くほど柔らかく変わっていく。

たとえば、右手の指先の温度を感じる。
その瞬間、思考は止まり、現実が静かに拡張する。
“今ここ”に戻ってくる感覚。
それこそが、意識のリセットボタンなのだ。

 

私たちは普段、“思考の中”で生きている。
過去を後悔し、未来を不安に思い、“今”が見えなくなる。

だが、身体はいつも「今」にいる。
その声に耳をすませることで、現実は再び手触りを取り戻す。

 

このような“身体を通した意識の再起動”を、
日常の中で安全に、豊かに体験できる空間がある。

それが、**「Spread One」**だ。

ここでは、催眠術やマジック、視覚の錯覚、
心理誘導などの非日常的な手法を使いながら、
脳と意識の境界線を優しく揺らす体験を提供している。

 

たとえば、あなたが「この水の味が甘く感じる」と言われ、
本当にそう感じたとき――
その瞬間、世界がほんの少しだけ違って見える。

それは、単なる遊びやエンタメでは終わらない。

むしろ、「自分の中に、こんな反応があったのか」と
驚きとともに自己理解が深まる、静かな革命なのだ。

そしてこの“静かな革命”は、誰にでも起こりうる。

年齢も、経験も、理屈も関係ない。
必要なのは「ちょっとだけ、自分の注意を変えてみよう」という
柔らかい好奇心だけだ。

その一歩が、世界の見え方を変えてしまうかもしれない。

 

Spread Oneでは、こうした“脳と現実の接点”を
気軽に、そして本質的に体験できる空間を用意している。

 

五感がいつもと違うように感じる瞬間、
思考の隙間に“何か”が忍び込んでくる。

それは、あなたが忘れていた感覚かもしれないし、
まだ知らなかった“自分”かもしれない。

 

私たちは、そこに価値があると信じている。
科学とアート、心理学と身体知、遊びと真剣が交差する場所。
それが、Spread Oneという“現実の編集室”だ。

 

「脳が現実を作っている」
もしそれが本当なら、
今この瞬間も、あなたは新しい現実を生み出すことができる。

あなた自身の手で、注意のレンズを少しだけ動かしてみてほしい。
すると世界は、ほんの少し違う表情を見せてくるだろう。

その瞬間に、そっと立ち会えることを。
私たちは、心から楽しみにしている。