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日本の催眠術には、もう一つの歴史があった|卑弥呼、陰陽師、気功、霊術へと続く意識の不思議

もし、目の前の人が何も言っていないのに
自分の身体が自然に動き始めたら、どう思いますか?

「そんなこと、本当にあるの?」

 

きっと、そう感じる方も多いでしょう。

しかし、人間の意識や身体に起こる不思議な変化は、今に始まった話ではありません。

 

 

約1800年前の日本には
「鬼道」と呼ばれる術に通じていたと記録される卑弥呼がいました。

平安時代には陰陽師の安倍晴明が活躍し
江戸時代には、想像の力を身体の養生に取り入れた白隠禅師がいました。

そして明治時代。

西洋から催眠術が伝わると、日本では大きなブームが巻き起こります。

大学で催眠術を研究する心理学者が現れる一方
気合術や霊術と呼ばれる技術も注目されるようになりました。

さらに、催眠術を扱っていた人々が
後に霊術と呼ばれる分野へ活動を広げた歴史もあります。

 

ここで、一つの疑問が浮かびます。

 

昔の人々が「神」「気」「霊」といった言葉で説明していた現象と
現代の催眠術には、どのようなつながりがあるのでしょうか?

その謎を考えるために、まずは私たち自身の身体で起こる
身近な不思議から見ていきましょう。

 

目次

梅干しを食べていないのに、なぜ唾液が出るの?

 

目の前に、大きな梅干しがあると想像してください。

 

箸でつまみ、口の中に入れます。

舌に触れた瞬間、あの強烈な酸っぱさが口いっぱいに広がる……。

 

どうでしょうか。

 

実際には何も食べていないのに、唾液が出てきた方もいるのではないでしょうか。

 

梅干しは目の前にありません。

それなのに、頭の中で想像しただけで、身体が反応することがあります。

 

 

 

ここで二つの言葉を紹介します。

私たちが考えたり、想像したり、物事の意味を受け取ったりする世界を

「情報空間」

実際の身体や物が存在する世界を

「物理空間」

と捉えることができます。

 

梅干しの例では、頭の中で起こったことが、唾液という身体の反応につながりました。

もちろん、実際には脳や神経、自律神経などの働きが関係しています。

しかし、大切なのは、目の前に存在しないものでも
意識の働きによって身体が反応することがあるという点です。

 

怖い映画を見て、心臓がドキドキする。

好きな人からの連絡を見て、自然に笑顔になる。

嫌な出来事を思い出しただけで、胃のあたりが重く感じられる。

 

私たちの身体は、目の前の出来事だけでなく
それをどう受け止めるかによっても変化します。

そして催眠には、言葉による暗示や想像だけでなく
術者自身の意識や身体の状態を整え、相手に働きかけるというアプローチもあります。

この視点を持つと
古代から伝わる精神文化や、気功、気合術、霊術などの歴史にも
興味深い共通点が見えてきます。

 

卑弥呼の鬼道|1800年前、人々を動かした不思議な力

 

日本の古代史に登場する、最も有名な女性の一人が卑弥呼です。

卑弥呼が活躍したのは、3世紀ごろ。今からおよそ1800年前のことです。

 

 

中国の歴史書『三国志』の「魏志倭人伝」には
卑弥呼について次のような記述が残されています。

「事鬼道、能惑衆」

一般に「鬼道に事え、能く衆を惑わす」と読まれます。

鬼道とは、当時の宗教的な実践を表す言葉と考えられています。

ただし、卑弥呼が実際にどのような儀礼を行っていたのか
その詳しい方法までは記録されていません。

注目したいのは
卑弥呼が宗教的な権威によって人々をまとめていたと考えられることです。

当時の人々にとって、神々や霊的な存在は
今の私たちが想像する以上に身近なものだったのでしょう。

日本には古くから、神霊が人に宿ったり
その人を通して神の意思が表れたりすると考える「神がかり」の文化もありました。

神がかりの伝承には
普段とは違う声で話す、身体が自然に動き始める、いつもの自分とは違う状態になる
といった体験が登場します。

ここで、現代の催眠術を思い浮かべてみてください。

催眠には「腕浮揚」と呼ばれる現象があります。
自分で持ち上げようとしているわけではないのに
腕が自然に浮き上がってくるように感じられる現象です。

自分の身体なのに、自分で動かしている感覚が普段とは違う。
実際に体験すると、その不思議さに驚く人もいます。

卑弥呼の鬼道と現代の催眠術が、同じ方法だったという記録はありません。

しかし、人間の意識や身体に起こる普段とは異なる変化に
人々が古くから関心を持っていたことは確かです。

昔の人々が神々との関係から理解していた体験を
現代の私たちは、催眠や心理学という別の視点から考えることもできるのです。

 

古代中国の「気」|目に見えないものを、どう捉えていたのか

 

日本の精神文化を理解するうえで、欠かせないのが中国から伝わった思想です。

中国では古くから
自然や人間の働きを「陰陽」や「五行」という考え方で説明してきました。

昼と夜、動きと静けさ、暑さと寒さ。

異なる性質が互いに関係しながら変化していくという発想です。

 

そして、もう一つ重要なのが「気」です。

「気が合う」「気が重い」「元気が出る」。

私たちが普段使っている言葉の中にも、「気」という考え方が残っています。

 

 

中国の伝統では、気は医学、養生、武術、宗教、身体修養など
幅広い分野で重視されてきました。現在「気功」と呼ばれる実践も
こうした長い歴史の中に位置づけられます。

気功というと、ゆっくり身体を動かす姿を想像する方が多いかもしれません。

しかし、実際にはさまざまな方法があります。

身体を動かすものもあれば、静かな状態で意識を働かせるものもあります。
自分自身の状態を整えることを目的とするものもあれば
他者への働きかけを重視するものもあります。

ここで注目したいのは、術者自身の状態です。

相手に何かをする前に、まず自分自身の意識や身体の状態を整える。
そのうえで、相手に働きかける。

こうした考え方は、気功の歴史を読み解くうえで重要です。

そして、催眠を言葉による暗示だけに限定せず
人間の意識や身体への働きかけとして捉えると
こうした技術との共通点も見えてきます。

中国の思想は、仏教やさまざまな身体修養の文化とともに日本へ伝わり
陰陽道や宗教儀礼、養生法などの中で独自に発展していきました。

 

安倍晴明と陰陽道|一枚の紙が、人の心を動かす?

 

陰陽師と聞いて、安倍晴明を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

 

映画や小説では
式神を操り、呪符や呪文を使って不思議な現象を起こす人物として描かれています。

しかし、陰陽師は単なる物語の登場人物ではありません。

古代日本には、暦や天文、占術などを担当する「陰陽寮」という官司が存在しました。

陰陽道は、中国から伝わった陰陽五行思想などを取り入れながら
日本の宗教や社会の中で独自に発展していきます。

 

 

安倍晴明は、10世紀から11世紀初めにかけて活躍した実在の陰陽師です。
当時の宮廷では、天文の観測、暦の作成、日時や方角の吉凶判断などが
政治や貴族の生活と深く結びついていました。

例えば、ある方角へ出かけることが縁起の悪い行動だと考えられた場合
外出を控えたり、別の場所に立ち寄ったりすることがありました。

こうした行動には「方違え」という習俗も関係しています。

現代の感覚では、不思議に思えるかもしれません。

しかし、当時の人々にとって、方角や日時には大きな意味がありました。

 

ここで、一つ想像してみてください。

何の変哲もない紙が一枚あります。
その紙に、大切な人からの特別な言葉が書かれていたらどうでしょう。

ただの紙だったものが、かけがえのない宝物になるかもしれません。

反対に、その紙に恐ろしい意味が与えられていたら
見ただけで不安を感じる人もいるでしょう。

紙そのものは変わっていません。変わったのは、その紙に対して受け取る意味です。

陰陽道では、呪符、方位、日時、儀礼、象徴などが重要な役割を持っていました。

そこには、目に見える物体だけでなく、その背後にある意味や認識が
人間の体験に関わるという視点が見えてきます。

人が何を信じ、どのような意味を受け取るかによって
感情や行動、身体の反応が変わる。

この関係は、現代の催眠を考えるうえでも興味深いものです。

 

密教・修験道・禅|身体を整えることで、意識も変わる

 

日本の宗教文化には、身体と意識を切り離さずに扱う実践が数多く存在します。
その代表的なものが、密教、修験道、禅です。

平安時代の初め、最澄や空海が中国から新しい仏教の教えを持ち帰り
日本の仏教に大きな変化をもたらしました。

空海が開いた真言宗では
身体・言葉・心を重視する「三密」という考え方が知られています。

密教では、真言を唱え、印を結び、仏の姿を心の中に思い描く観想などが行われます。
言葉、身体、イメージを組み合わせることで、精神的な修行を深めていきます。

 

一方、修験道は、日本の山岳信仰に仏教などの要素が結びついて発展した宗教文化です。

山伏と呼ばれる修行者たちは、山に入り、厳しい自然環境の中で修行を重ねてきました。

山を歩き続けること、冷たい水を浴びること、祈りを捧げること。
こうした身体を伴う実践は、修行者にとって精神的な意味を持つものでした。

 

また、鎌倉時代には栄西や道元らによって禅の教えが広まりました。
禅では、坐禅によって姿勢や呼吸を整え、心の働きと向き合います。

 

これらに共通しているのは、身体の状態と意識の状態が深く関係しているという点です。

 

 

私たちは、緊張しているときには呼吸が速くなり、身体に力が入ることがあります。
反対に、身体の状態が変わることで、感じ方や思考が変化することもあります。

つまり、意識が身体を変え、身体が意識を変える。

この双方向の働きは、催眠を理解するうえでも重要です。

密教や修験道、禅の歴史には、こうした関係を探求してきた長い伝統があります。

そして、その流れは、江戸時代の精神修養や
明治以降の催眠術・霊術を考えるうえでも重要な背景になります。

 

江戸時代の白隠禅師|頭の中で想像したものが、身体を包み込む

 

江戸時代の日本では
仏教、神道、陰陽道、民間信仰、養生法などが人々の暮らしの中に根づいていました。

 

 

病気になったとき、医師に診てもらうだけでなく
祈祷やお祓い、まじないなどに頼る人もいました。

また、身体を整えることと精神を整えることを結びつける考え方も
さまざまな形で存在していました。

 

その代表的な人物の一人が、江戸時代中期の禅僧、白隠慧鶴です。

白隠は、厳しい修行の中で心身の不調を経験したことを、自らの著作で語っています。
そして、内観や呼吸、身体感覚を重視した養生法について記しました。

1757年に刊行された『夜船閑話』には
修行と心身の状態に関する興味深い記述が残されています。

白隠が語った「軟酥の法」では、頭上に柔らかいものが置かれ
それが身体をゆっくり包み込むようなイメージが用いられます。

ここで注目したいのは、実際には存在しないものを思い描き
そのイメージを通して身体の感覚に働きかけていることです。

 

先ほどの梅干しの例を思い出してみてください。

梅干しを想像するだけで、唾液が出ることがあります。

同じように、温かさや柔らかさを思い描くことで、身体の感覚が変わることもあります。

白隠の『夜船閑話』では、こうした意識と身体の関係が
修行や養生という文脈で語られているのです。

さらに興味深いことに、白隠の内観法は
中国の道教における身体修養との関係からも研究されています。

日本の禅の中にも、中国から伝わった精神文化と結びつきながら
人間の意識と身体の関係を探求してきた歴史があるのです。

 

ヨーロッパで起きた大騒動|人の身体を変える「見えない力」は存在するのか?

 

日本で白隠が心と身体の関係を探求していたころ
ヨーロッパでも、人間の不思議な反応に注目する人物が現れました。

その人物こそ、フランツ・アントン・メスメルです。

 

 

18世紀後半、医師だったメスメルは「動物磁気」という理論を提唱しました。

彼は、人間や自然界には目に見えない流体のようなものが存在し
その働きによって身体に変化が生じると考えました。

そして、人々に独自の施術を行い、大きな注目を集めるようになります。

当時の人々にとって、目の前で起こる身体の反応は、驚くべきものだったのでしょう。

しかし、メスメルの理論は医学界でも議論を呼びました。

1784年には、フランス王室の命令によって調査委員会が設けられます。

調査の結果、メスメルが主張した特殊な流体の存在は確認されず
人間の想像の働きが現象に関係している可能性が指摘されました。

ここで興味深いのは、目に見えない流体の存在が確認されなかったことと
人々が体験した身体反応をどう理解するかは、別の問題だったという点です。

 

例えば、誰かに「これを飲むと身体が温かくなる」と言われたとします。
その言葉を信じることで、本当に温かく感じる人がいるかもしれません。

しかし、その感覚が生まれたからといって
飲み物に特別な成分が含まれているとは限りません。

反応が起こることと、その原因を正しく説明できていることは
必ずしも同じではないのです。

この問いは、その後の催眠研究にも大きな影響を与えました。

 

催眠術という言葉の誕生|眠っていないのに、なぜ「催眠」?

 

19世紀になると、スコットランドの外科医
ジェームズ・ブレイドが催眠現象の研究を始めます。

1843年、ブレイドは『Neurypnology』という書籍を出版しました。

彼はメスメルの動物磁気説とは異なり
注意の集中や神経の働きなどから現象を説明しようとしました。

ここから、現在の「Hypnotism(催眠術)」につながる言葉が広まっていきます。

 

 

ところで、催眠術という名前には少し不思議なところがあります。

「催眠」と聞くと、眠らせる技術のように思えますよね。

しかし、催眠を体験している人が、必ず眠っているわけではありません。

目を開けていることもあります。

周囲の声が聞こえていることもあります。

自分が何をしているのか理解しながら、不思議な身体反応を体験することもあります。

つまり、催眠は単純に「眠ること」と同じではないのです。

 

ブレイド自身も研究を進める中で
催眠現象を睡眠だけで説明することの難しさに向き合いました。

その後、フランスではシャルコーやベルンハイムらが催眠を研究し
医学や心理学の世界でさまざまな議論が行われるようになります。

こうしてヨーロッパで発展した近代催眠術は、やがて明治時代の日本へ伝わりました。

しかし、日本で待っていたのは
西洋の研究をそのまま受け入れる人々だけではありませんでした。

日本にはすでに、神がかり、幻術、気合、精神修養など
人間の不思議な反応を扱う独自の文化が存在していたのです。

 

明治時代|西洋の催眠術が、日本の幻術や気合術と出会う

 

明治時代、日本は西洋の学問や技術を急速に取り入れ始めました。

医学、心理学、哲学、物理学。

それまで日本ではなじみの薄かった学問が次々と紹介され
人々の世界の見方も大きく変わっていきます。

その中で、催眠術も日本へ伝わりました。

しかし、催眠術が広まると、ある疑問が生まれます。

 

 

「これは本当に西洋で生まれた新しい技術なのだろうか?」

「日本に昔から伝わる幻術や気合術と、何が違うのだろう?」

 

実際、明治時代にはこうした関係を論じる書籍が出版されました。

近藤嘉三による『魔術と催眠術』も、その一つです。

 

さらに、近代日本の催眠術史を研究した一柳廣孝の『催眠術の日本近代』では
催眠術と幻術、忍術、気合術、憑物信仰などの関係が取り上げられています。

これは、かなり意外な歴史ではないでしょうか。

西洋では医学や心理学の研究として発展した催眠術が
日本では昔から伝わる術を理解するための、新しい手がかりにもなったのです。

それまで神秘的な力として語られていた現象を
脳や神経、精神の働きとして説明しようとする人々が現れました。

一方で、西洋の催眠術を
日本に古くから存在していた技術と結びつけて理解しようとする人々もいました。

日本の催眠術は、こうした二つの流れが交わる中で広まっていったのです。

 

気合術師・浜口熊嶽|言葉だけではない働きかけ

 

明治時代の催眠術史を調べていくと
「気合術」という、現在ではあまり耳にしない言葉に出会います。

 

その歴史の中で名前が登場する人物が、浜口熊嶽です。

 

一柳廣孝の研究書『催眠術の日本近代』でも
浜口熊嶽は気合術師として取り上げられています。

気合術は、精神力や気合による働きかけを重視した
日本の近代における術の一つです。

 

 

ここで考えてみたいのは、術者の状態と相手の反応の関係です。

 

催眠術というと、術者が言葉で指示を出し
相手がその言葉に反応する様子を思い浮かべる方が多いでしょう。

しかし、人間の意識や身体の変化を考えるうえで
言葉だけが重要なわけではありません。

術者自身がどのような状態にあるのか。

相手との間にどのような関係が生まれているのか。

そして、相手の意識や身体にどのような反応が現れるのか。

こうした視点から気合術の歴史を読み解くことで
日本の催眠術が持つ独自の広がりが見えてきます。

浜口熊嶽が具体的にどのような方法を用いていたかについては
当時の記録に沿って考える必要があります。

しかし、明治時代に西洋催眠術と日本の気合術が比較されていたこと自体が
注目すべき歴史なのです。

 

明治36年、日本で催眠術が大流行|人々は何を求めていたのか?

 

1903年、明治36年。

日本では、催眠術が大きな注目を集めていました。

催眠術に関する書籍が数多く出版され
講義や実演なども行われるようになります。

当時の人々が期待していたのは
単に不思議な現象を見ることだけではありませんでした。

 

 

記憶力を高めたい。

集中力を身につけたい。

身体の不調を改善したい。

自分でも知らなかった能力を引き出したい。

 

こうした願いは、現代の私たちにも身近なものではないでしょうか。

 

「もっと自信を持ちたい」

「緊張せずに人前で話せるようになりたい」

「自分の可能性を広げたい」

 

時代が変わっても、人間が自分自身に期待することには、共通する部分があります。

 

しかし、催眠術が流行すると
その人気を利用して、さまざまな効果を宣伝する人々も現れました。

 

病気が治る。

特別な能力が身につく。

人生が変わる。

 

催眠術が万能の技術であるかのように語られることもあったのです。

 

その一方で、医師や心理学者たちは
催眠現象を学問として理解しようとしていました。

 

1904年には、国家医学会による『催眠術及ズッゲスチオン論集』が刊行されています。

この時代の日本では、催眠術が医学、心理学、民間療法、娯楽、精神修養など
さまざまな分野に広がっていたのです。

そして、催眠術の流行は、やがて行政による規制にもつながっていきます。

 

催眠術は本当に禁止されたのか? 明治41年の規制

 

「昔の日本では、催眠術が禁止されていた」

そんな話を聞いたことがあるかもしれません。

実際、1908年には催眠術に関する規制が設けられました。

 

警察犯処罰令の第2条第19号には
「濫ニ催眠術ヲ施シタル者」という規定がありました。

 

ここで重要なのは、「濫ニ」という言葉です。

これは、むやみに、みだりに、という意味です。

つまり、催眠術という技術そのものを全面的に禁止したのではなく
その濫用を取り締まる規定だったのです。

 

では、なぜこのような規制が必要になったのでしょうか。

背景には、催眠術の大流行がありました。

さまざまな人が催眠術を名乗って活動し
民間療法や商業活動にも広がっていく中で
行政が対応を必要とする問題が生まれていたのです。

そして、この時代から大正期にかけて
催眠術を取り巻く世界は少しずつ変化していきます。

催眠術を教えていた人物が
精神療法や霊術と呼ばれる分野へ活動を広げる例も現れました。

この変化は、単なる名前の違いだけではありません。

日本に古くから存在していた身体技法や精神修養と
西洋から伝わった催眠術が、互いに関係しながら発展していくことになったのです。

 

福来友吉と千里眼事件|催眠研究は、思いがけない方向へ

 

明治時代の日本で、催眠術を学問として研究した人物の一人が、福来友吉です。

福来は東京帝国大学で心理学を研究し
催眠状態における人間の意識や知覚に関心を持っていました。

 

1905年には『催眠心理学概論』を刊行しています。

しかし、その後、福来の研究は思いがけない方向へ進みます。

それが、明治末期に日本社会を騒がせた「千里眼事件」です。

この事件に登場するのが、御船千鶴子という女性です。

千鶴子は、義兄の清原猛雄から催眠術を受けていた人物でした。

国立国会図書館の解説によると
清原は千鶴子に催眠術を施し、透視ができるという暗示を与えたとされています。

その後、千鶴子は、封をした袋の中身などを見通すことができるとされ
研究者たちの注目を集めるようになりました。

福来も千鶴子の能力に関心を持ち、実験を行います。

しかし、実験には難しい問題がありました。

千鶴子は、他人が見ている前では集中できないとされ
別室で実験を行うことがありました。

すると、実験を見守る側は、本当に中身を見通しているのか
それとも別の方法で情報を得ているのかを確かめにくくなります。

研究者たちは、封印した実験物を使うなど、さまざまな方法を試みました。

しかし、結果をめぐる疑問は解消されず
福来の主張は学界で広く認められることにはなりませんでした。

1913年、福来は『透視と念写』を出版します。
その後、東京帝国大学から休職を命じられ、1915年に退職しました。

この事件は、当時の日本社会に大きな影響を与えました。

ここで注目したいのは、催眠術が単に身体を動かしたり
感覚を変えたりする技術としてだけではなく
人間の知覚や意識の限界を探る方法としても注目されていたことです。

 

「人間は、どこまで感じ取ることができるのか?」

「普段は意識していない能力が、特別な状態で現れることはあるのか?」

 

当時の研究者たちは、こうした問いにも向き合っていたのです。

 

催眠術から霊術へ|日本で起きた、もう一つの大きな変化

 

明治末期から大正時代にかけて
日本では「霊術」と呼ばれるさまざまな技術が広まっていきました。

霊術という言葉を聞くと、幽霊や心霊現象を想像する方もいるかもしれません。

しかし、当時の霊術は、それだけを意味するものではありませんでした。

催眠術、気合術、手当て、精神修養、身体の自動運動、民間療法。

こうした多様な実践が、霊術と呼ばれる世界に含まれていました。

この歴史について
宗教学者の吉永進一は『民間精神療法書誌(明治・大正編)』の中で
「催眠術から霊術へ」という項目を設けています。

また、一柳廣孝の『催眠術の日本近代』でも
催眠術が霊術へ展開していく過程が詳しく研究されています。

つまり、催眠術と霊術の関係は、現代になって誰かが思いついた話ではありません。

 

明治から大正にかけて、実際に人々や技術の交流があり
活動の名称や説明が変化していったことが、歴史研究の対象になっているのです。

ただし、すべての術者が規制を逃れるために名前を変えたというわけではありません。

催眠術への社会的な評価の変化
新しい技術としての宣伝
宗教や精神修養との結びつきなど

背景にはさまざまな事情がありました。

 

 

ここで、少し考えてみてください。

同じような身体の反応が起こっても
ある人はそれを「催眠」と呼び、別の人は「気」や「霊」の働きとして説明する。

もしそうだとしたら、名前だけを見て別々の技術だと判断することはできません。

その人が何を行い、相手にどのような反応が起こっていたのか。

そこまで見ていくことで、初めて技術の共通点や違いが見えてくるのです。

 

森田正馬が見抜いたもの|催眠術と霊術は別物なのか?

 

この時代、催眠術と霊術の関係について、興味深い意見を述べた医師がいます。

精神科医の森田正馬です。

森田は、後に「森田療法」として知られる治療法を発展させた人物です。

 

1921年、森田は当時流行していた霊術や気合術などについて
催眠術との関係から批判的に論じました。

森田は、霊術家たちが行っている技術の中に
催眠術や暗示療法と共通する働きかけを見ていたのです。

これは、注目すべき記録です。

なぜなら、当時の医師が、催眠術と霊術を
まったく無関係なものとして扱っていたわけではないことがわかるからです。

もちろん、森田は医師としての立場から、霊術を批判的に評価していました。

一方、霊術家たちは、気や精神力、霊的な働きなど
さまざまな言葉で自分たちの技術を説明していました。

しかし、説明に使う言葉が異なっていても
人間の意識や身体に働きかけるという点には共通する部分がありました。

この時代の歴史を調べていくと催眠術と霊術が
単純に二つの別々の世界として存在していたわけではないことが見えてきます。

 

霊動|自分の意思とは別に、身体が動き始める

 

霊術の歴史を調べていくと、「霊動」という言葉に出会います。

霊動とは、本人が意識的に動かそうとしていないにもかかわらず
身体が自然に動くように感じられる現象です。

 

例えば、座っているときに身体が揺れ始める。

手が自然に動く。

普段とは違う姿勢になる。

 

こうした現象は、霊術の世界で特別な意味を持つものとして扱われてきました。

ここで思い出していただきたいのが、催眠における身体の自動的な動きです。

催眠では、手が自然に浮き上がってくるように感じられることがあります。

また、身体の一部が動かなくなったり
自分で動かしている感覚が普段とは違ったりすることもあります。

ここで重要なのは、身体が動くことだけではありません。

その動きを、本人がどのように感じているのか。

私たちは普段、手を動かすときに「自分が動かしている」という感覚を持っています。

しかし、催眠では、その感覚が変化することがあります。

自分の身体なのに、自然に動いているように感じる。

 

この不思議な体験は、人間の意識と身体の関係を考えるうえで
非常に興味深いものです。

霊術の世界でも、こうした身体の変化が重視されてきました。

催眠と霊術の歴史を一緒に考えることで
昔の人々が何を体験し、どのように理解していたのかを
より広い視点から考えられるようになります。

 

太霊道と田中守平|大正時代、人々を魅了した霊術

 

大正時代の霊術を語るうえで、田中守平の「太霊道」は欠かせません。

太霊道は、当時の日本で知られた霊術体系の一つです。

 

 

田中守平は、独自の思想と実践を通して
精神と身体の関係を重視する活動を展開しました。

その活動は、宗教や精神修養との関係からも研究されています。

一柳廣孝の『催眠術の日本近代』では
太霊道と大本教の関係も取り上げられています。

大本教は、出口なおや出口王仁三郎らによって発展した宗教運動です。

当時の日本では、宗教、精神修養、民間療法、霊術などが
現在の私たちが想像する以上に近いところで関係していました。

そして、人間の意識や身体の可能性に対する関心が、こうした活動を支えていたのです。

太霊道や霊術には、それぞれ独自の思想や実践があります。

重要なのは、それぞれの術者が何を重視し
どのような働きかけを行っていたのかを見ていくことです。

そうすることで、現代の催眠との共通点も、より具体的に理解できるようになります。

 

日本で生まれ、世界へ広がった霊気療法

 

日本の霊術史を調べていくと、現在では世界各地で知られる技術にも出会います。

それが「霊気療法」、一般に「レイキ」と呼ばれているものです。

創始者として知られるのは、臼井甕男です。

 

霊気療法の伝承では、臼井が1922年に京都の鞍馬山で修行を行い
その体験をきっかけに霊気療法を始めたとされています。

その後、臼井のもとで学んだ人々を通して、霊気療法は受け継がれていきました。

ここで注目したいのは、霊気療法が生まれた時代です。

 

 

当時の日本では
すでに催眠術、気合術、霊術、精神修養、民間療法などが広く知られていました。

霊気療法も、こうした精神文化が活発だった時代に登場したのです。

そして、霊気療法は日本国内だけにとどまらず、海外へも広がっていきました。

西洋から催眠術が日本へ伝わった一方で
日本で生まれた霊気療法は世界へ広がっていった。

この歴史は、人間の意識や身体への働きかけが
国や文化を越えて関心を集めてきたことを示しています。

 

昭和初期|霊術家が3万人? 人々を惹きつけたものとは

 

大正時代から昭和初期にかけて、霊術は大きな社会的関心を集めました。

1928年に刊行された『破邪顕正 霊術と霊術家』には
当時の霊術家が3万人に達したという記述があります。

この数字は、当時の文献に書かれたもので
実際の人数を確認した統計ではありません。

しかし、それほど多くの術者が存在すると語られるほど
霊術が注目されていたことは興味深いことです。

 

では、なぜ人々は霊術に惹きつけられたのでしょうか。

そこには、健康への願い、精神的な不安、自分の能力を高めたいという思いなど
さまざまな理由があったと考えられます。

 

病気や不調を何とかしたい。

もっと強い精神力を身につけたい。

自分の中に眠っている可能性を知りたい。

 

こうした願いは、今の私たちにも共通するものではないでしょうか。

 

 

一方、霊術や民間療法が広がるにつれて
医療との関係や効果の宣伝方法などが問題視され、行政による規制も進みました。

それでも、人間の意識や身体の可能性を探求する活動が
完全になくなったわけではありません。

催眠術、精神修養、身体技法、宗教的な実践など
それぞれの分野で活動は続いていきました。

 

旧日本軍と精神教育|極限状態で、人間の意識はどう働くのか?

 

人間の意識や身体の働きに関心を持っていたのは
催眠術師や霊術家、医学者だけではありませんでした。

意外に思われるかもしれませんが、戦前の日本軍でも
人間の精神状態は重要なテーマとして扱われていました。

 

例えば、戦場という極限状態を想像してみてください。

大きな音が響き、周囲では予測できない出来事が次々と起こる。

強い恐怖や緊張に襲われれば、普段なら冷静に判断できることでも
難しくなるかもしれません。

反対に、危険な状況でも集中力を保ち、落ち着いて行動できる人もいます。

同じ状況に置かれても、精神状態によって
人間の判断や行動には違いが生まれるのです。

 

では、こうした精神の働きを、訓練によって変えることはできるのでしょうか。

実際、旧日本軍では
兵士の精神力や士気、規律、忍耐力などを重視した教育が行われていました。

その一例として、1926年(大正15年)8月には
海軍省教育局から『教育参考資料 第20号 精神教育』という資料が刊行されています。

この資料は、現在も昭和館のデジタルアーカイブに書誌情報と目次が公開されています。

全66ページの資料には
士官教育、特務士官・准士官教育、下士官兵教育などが収録されています。

 

その中には

 

「自己修養」

「堅忍不抜ノ精神ヲ養成スルコト」

「体育ノ実施ニヨル精神教育」

 

といった項目もあります。

 

 

ここで注目したいのは、身体を鍛えるだけではなく
精神のあり方も教育の対象として考えられていたことです。

私たちは普段、身体の能力を高めるには運動や練習が必要だと考えます。

しかし、どれほど身体を鍛えていても、強い恐怖で動けなくなったり
緊張によって普段の力を発揮できなくなったりすることがあります。

逆に、精神状態が変わることで、同じ身体でも行動や反応が変化することがあります。

このような意識と身体の関係は、催眠を考えるうえでも興味深いテーマです。

ただし、当時の軍隊における精神教育は
軍人としての規律や服従、集団行動、責任感などを
身につけさせることを目的としていました。

 

今回取り上げた『精神教育』という資料も、催眠術の実験記録ではありません。

軍隊で精神教育が行われていたことと
催眠術が特殊な軍事技術として研究されていたことは、分けて考える必要があります。

それでも、人間の精神状態が身体や行動にどのような影響を与えるのかという問題が
宗教や医学、霊術だけでなく、軍事教育の分野でも重視されていたことは
歴史の興味深い一面です。

そして戦後になると、催眠術は医学や心理学の研究とともに
テレビなどを通じて一般の人々にも知られるようになっていきます。

 

戦後の催眠術|研究室からテレビの世界へ

 

戦後になると、日本の催眠術はさらに多様な形で発展していきます。

医学や心理学では、催眠状態や暗示への反応について研究が進められました。

 

一方で、一般の人々にとって催眠術は
テレビなどで見かける不思議なパフォーマンスとしても知られるようになります。

 

 

名前が思い出せなくなる。

手が動かなくなる。

普段とは違う感覚が生まれる。

 

こうした催眠現象は、多くの人々に驚きを与えてきました。

 

しかし、催眠術の面白さは、単に不思議な現象を見せることだけではありません。

自分自身の身体や感覚に、普段とは違う反応が起こること。
そして、その反応を自分自身で体験できることです。

 

例えば、目の前で誰かの手が動かなくなる様子を見ると
不思議に感じるかもしれません。

しかし、実際に自分の手が動かしにくくなったらどうでしょう。

「動かそうと思っているのに、なぜ?」

きっと、普段は考えもしなかった自分自身の身体の働きに
興味が湧くのではないでしょうか。

催眠は、見るだけでも面白いものです。
しかし、自分で体験することで、さらに違った世界が見えてくることがあります。

 

日本の催眠研究は、現在も続いている

 

戦後の日本では、催眠を学術的に研究する団体も発展していきました。

1956年10月15日には催眠研究会が設立され
1963年11月17日には日本催眠医学心理学会へと名称が変更されました。

現在も同学会は、医学、歯学、心理学などの分野における
催眠の科学的研究を目的として活動しています。

また、日本催眠学会の公式沿革によると
1959年には藤本正雄が『催眠術入門』を出版し
1960年には日本催眠学会を商号として登記しました。

そして
1984年11月10日、日本催眠学会が学術団体として正式に設立されました。

1985年には第1回学術大会が開催され
1986年には学会誌『催眠と科学』が創刊されています。

こうした活動を通して、日本の催眠研究は現在まで続いているのです。

 

 

研究対象も、単に人が催眠にかかるかどうかという話だけではありません。

痛みの感じ方。注意や記憶の働き。身体の動きと、自分が動かしているという感覚。
意識と無意識の関係。

催眠を研究することは、人間そのものを理解することにもつながっているのです。

 

催眠を深く研究すると、見えてくるものが変わる

 

ここまで歴史をたどってきましたが
最初に思い浮かべていた催眠術のイメージは、少し変わったでしょうか。

催眠術というと、目の前の人に言葉をかけて
不思議な現象を起こすものだと思われがちです。

もちろん、それも催眠の一つの形です。

しかし、歴史を調べていくと、人間の意識や身体への働きかけには
さまざまな考え方が存在してきたことがわかります。

古代の人々は、神々との関係から不思議な体験を理解しました。

中国では、気や陰陽という考え方を通して、人間と自然の関係を探求してきました。

日本では、陰陽道、密教、修験道、禅などの文化が発展しました。

そして明治時代、西洋から伝わった催眠術が
日本の幻術や気合術、精神修養と出会います。

その後、催眠術を扱っていた人々の一部は
霊術と呼ばれる分野でも活動するようになりました。

こうして見ていくと、歴史上の名称や説明は異なっていても
人間の意識や身体の変化に関心を向けてきたという大きな共通点があります。

さらに、術者自身の状態を整え、相手に働きかけるという視点から考えると
言葉による暗示だけでは捉えきれない催眠の広がりも見えてきます。

昔の人々が使っていた言葉と、現代の私たちが使う言葉は違います。

しかし、名前が変わったからといって
人間の意識や身体の働きそのものが変わるわけではありません。

そして、ここで大切なのは
単に昔の技術を現代の言葉に置き換えることではありません。

それぞれの時代の人々が、何を体験し、何を理解しようとしていたのか。

そこに目を向けることで、催眠の歴史は、単なる年代や人物の紹介ではなくなります。

 

催眠を研究すると、奥が深い

 

自分の意思で動かしていると思っていた身体が、思いがけない反応をする。

目の前にないものを想像するだけで、感覚が変わる。

同じ出来事を体験しても、人によって受け取り方や身体の反応が違う。

私たちは普段、自分の身体や意識について、よく理解しているつもりで生活しています。

しかし、実際には、まだ知らないことがたくさんあります。

なぜ、人は想像しただけで身体が反応するのでしょうか。

なぜ、自分の意思とは別に身体が動いているように感じることがあるのでしょうか。

そして、術者自身の状態は
相手との関わりや反応にどのような影響を与えるのでしょうか。

こうした疑問を追いかけていくと、心理学や脳科学だけでなく
歴史、宗教、哲学、身体技法など、さまざまな分野へとつながっていきます。

最初は、単に「不思議な現象を起こす技術」だと思っていたものが
調べれば調べるほど、人間の意識そのものを探求する世界へと広がっていくのです。

 

 

催眠を研究すると、本当に奥が深い。

それは、誰かを思いどおりに動かす方法を探すことではありません。

人間には、どのような反応や可能性があるのか。

私たちが普段当たり前だと思っている意識や身体の働きには
どのような秘密が隠されているのか。

その不思議を、一つずつ知っていくことなのだと思います。

そして、その世界は、歴史の中だけに存在するものではありません。

今、この瞬間の私たち自身の中にもあるのです。

 

Spread Oneで、自分自身の不思議を体験してみませんか?

 

「催眠術って、本当にかかるの?」

「自分にも、そんな不思議なことが起こるの?」

 

そう思った方にこそ、実際に体験していただきたい世界があります。

 

 

愛媛県松山市の「Cafe & Bar Spread One」では
催眠術やマジックを通して
日常ではなかなか味わえない不思議な体験をお届けしています。

 

催眠術は、誰かが体験している姿を見るだけでも面白いものです。

しかし、自分自身の身体や感覚に、普段とは違う反応が起こったとき
その驚きはさらに大きなものになるかもしれません。

歴史の中で人々が探求してきた、意識と身体の不思議。

その一端を、ぜひご自身で体験してみてください。

 

Cafe & Bar Spread One

愛媛県松山市三番町7丁目7-1 村上ビル1F

公式サイト:https://www.spread-one.com/

公式LINE:https://lin.ee/MRXbeuF

ウェブ予約 : https://forms.gle/EupBEGAiXtuPWAFQ6

電話:070-4498-5433

 

主な参考資料

一柳廣孝『催眠術の日本近代』(青弓社)

吉永進一『民間精神療法書誌(明治・大正編)』

国立国会図書館「千里眼実験を読む」

白隠慧鶴『夜船閑話』(1757年)

『警察犯処罰令』(1908年)

海軍省教育局『教育参考資料 第20号 精神教育』(1926年)

日本催眠医学心理学会「日本催眠医学心理学会の概要」

日本催眠学会「日本催眠学会の設立経緯」