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月別アーカイブ: 2026年10月

意識の力を抜くと、何が起こるのか?

意識の力を抜くと、何が起こるのか?

 

「頑張ってリラックスする」という矛盾を
脳科学・心理学・HBC・催眠術から考える

「もっと力を抜いてください」

そう言われて、

「いや、別に力なんて入れてないけど?」

と思ったことはないでしょうか。

肩や首に力が入っている。
呼吸が少し浅くなっている。
人と話すとき、相手の反応を必要以上に確認している。
失敗しないように、頭の中で何度も先のことを考えている。

ところが、それを毎日のように繰り返している本人にとっては
それが「普通」です。

 

だから誰かから、

「ちょっと力が入りすぎているよ」

と言われても、本人にはその感覚がない。

 

「そんなことない」

と、本気で思っていることもあります。

 

ここに、意識の面白さがあります。

私たちは、自分の中で起きていることを、すべて意識できているわけではありません。

 

そして、さらに面白いことがあります。

「力を抜こう」

「リラックスしよう」

「気にしないようにしよう」

「考えないようにしよう」

そう意識すればするほど、逆にその対象へ注意が向き
力が入ってしまうことがあるのです。

 

つまり、

「力を抜こう」と頑張った瞬間、

すでに「頑張る」という別の力が入っている。

 

もしかすると私たちは、「力を抜くこと」さえ
力ずくでやろうとしているのかもしれません。

 

その感覚を説明する前に、一枚の葉っぱを思い浮かべてみてください。

静かな小川に浮かび、その流れに運ばれていく一枚の葉っぱです。

この葉っぱには、あとでもう一度戻ってきます。

 

 

「考えないようにする」と、なぜ考えてしまうのか

簡単なことを試してみましょう。

今から10秒間、

「白熊のことだけは考えないでください」

どうでしょう。

 

もう白熊が頭に浮かんでしまった人もいると思います。

 

心理学者ダニエル・ウェグナーは、このような思考抑制について研究し
1994年に「Ironic Processes of Mental Control(精神的コントロールの皮肉過程)」という
理論を提示しました。

 

 

簡単にいうと、「考えないようにする」ためには
「今、それを考えていないだろうか?」と確認する必要がある

ということです。

 

白熊を考えないためには、どこかで白熊を探してしまう。

 

同じことは、日常でも起こります。

 

「緊張するな」と思う。

すると、「今、緊張していないか?」を確認する。

 

「失敗するな」と思う。

すると一度、「失敗」という状態を頭の中に表現する。

 

「気にするな」と思う。

すると、「何を気にしてはいけないのか」を確認する。

 

そして、「リラックスしなければ」と思う。

すると、「ちゃんとリラックスできているだろうか?」という
自己監視が始まります。

 

だから、「気にしないようにしよう」と思っている時点で
すでにかなり気にしていることがあります。

 

「力を抜かなければ」と思っている時点で
力が抜けているかを監視している。

 

ここに、「意識で自分をコントロールすること」の面白い矛盾があります。

 

身体だけではなく、「意識」に力が入る

 

「力が入る」と聞くと、筋肉を想像するかもしれません。

肩が上がる。拳を握る。眉間にしわが寄る。

もちろん、それも「力」です。

でも、今回扱いたいのはもう少し広い意味です。

 

「ちゃんとしなければ」

「理解しなければ」

「失敗してはいけない」

「正しく感じなければ」

「何かを起こさなければ」

 

こうした、自分を強くコントロールしようとする状態です。

 

 

催眠術を行っていると、この違いが分かりやすく見えることがあります。

 

何かを想像してもらったとき、

「これで合っていますか?」

「もっと集中した方がいいですか?」

「こういう感じになればいいんですか?」

「自分で何か起こした方がいいですか?」

と、「正解」を探そうとする人がいます。

 

もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

 

ただ、

「何かを起こそうとしなくても大丈夫です」

「ただ、『そうなんだ』くらいで」

と伝えると、それまでとは違った感覚や反応に気づく人もいます。

 

催眠への反応には個人差があります。
「力を抜けば必ず催眠にかかる」という意味ではありません。

 

ただ、「ちゃんと反応しなければ」「何かを感じなければ」と
意識が監視し続けていることで
もともと生じていた小さな感覚を見落としてしまうことは考えられます。

 

現代の催眠研究でも
催眠への反応には注意、期待、暗示、想像、知覚、主体感、認知制御など
複数の要素が関係すると考えられています。

 

つまり催眠は、「意識がなくなる」という単純な現象として見るよりも、

「意識的な判断と、自分の中から生じる反応はどう関係しているのか」

を考える入口として見ると、とても興味深いのです。

 

日本人が考えた
「Human Brain Computer」というモデル

 

ここで、人間の意識や反応を考えるうえで興味深いモデルがあります。

 

日本の技術者・発明家として知られる中山正和が提唱した
「HBC(Human Brain Computer)モデル」です。

 

中山は、人間の発想や思考の仕組みを考えるため
脳の働きを一つの情報処理システムとして捉えました。

人間は、目の前で起きたことに対して
毎回ゼロから考えて反応しているわけではありません。

 

これまでに経験したこと。
記憶してきたこと。
繰り返し聞いてきた言葉。
頭の中に浮かぶイメージ。
いつの間にか身についた考え方。

そして、それらをもとに行われる判断。

 

こうしたものが複雑に重なりながら
私たちの思考や行動は作られています。

 

 

催眠を深く研究していくと
こうした「人間はどのように情報を受け取り
どのように反応しているのか」という問題を避けて通れなくなります。

 

なぜ、同じ言葉を聞いても人によって反応が違うのか。

なぜ、頭では「できる」と分かっているのに、身体が違う反応をすることがあるのか。

なぜ、ある人には何でもない言葉が、別の人には強く響くのか。

なぜ、過去の経験によって、同じ出来事の受け取り方が変わるのか。

そして

なぜ「何とかしよう」と意識的に頑張るほど、逆にうまくいかなくなることがあるのか。

 

こうした現象を考えていくと、催眠だけを切り離して考えることは難しくなります。

 

心理学、認知科学、脳科学、発達、学習、記憶、注意、知覚。

さまざまな分野から人間を見ることで、催眠という現象も別の角度から見えてきます。

 

HBCも、そうした人間の反応を考える一つの視点として非常に興味深いモデルです。

 

HBCでは、人間の反応をどう考えるのか

 

HBCでは、人間の情報処理を大まかに、

「いのち」
↓
「刷り込み」
↓
「イメージ記憶」
↓
「コトバ記憶」
↓
「計算」

という重なりとして捉えます。

 

最も基本となる「いのち」は、外から刺激を受け
それに反応する生命としての基本的な働きです。

そこへ経験が積み重なり、「刷り込み」が形成される。

 

さらに、イメージとしての記憶、言葉としての記憶が加わり
その上に物事を比較したり、予測したり
論理的に考えたりする「計算」が重なっていく。

 

ここで面白いのは、

「人間は、目の前で起きたことだけに反応しているわけではない」

という見方です。

 

たとえば、同じ犬を見ても、

「かわいい」

と思う人もいれば、

「怖い」

と思う人もいます。

目の前にいる犬は同じです。

 

しかし、その人が過去に犬とどんな経験をしたのかによって
そこから生まれるイメージや身体反応は変わることがあります。

 

人間関係でも同じです。

 

誰かから少し強い口調で何かを言われたとき、

「普通に注意された」

と受け取る人もいれば、

「嫌われたかもしれない」

と感じる人もいます。

 

つまり私たちは、外から入ってきた情報だけで世界を見ているのではありません。

 

今まで何を経験してきたのか。

どんな言葉を聞いてきたのか。

何を怖いと感じてきたのか。

何を安心だと感じてきたのか。

何を成功や失敗として記憶してきたのか。

何を「当たり前」だと思ってきたのか。

 

そうしたものを通して、今起きていることを受け取っています。

 

しかも、そのすべてを毎回意識しているわけではありません。

 

何度も繰り返されたものほど
「自分はこう考えている」という感覚さえなくなっていくことがあります。

 

それが、

「自分にとっての普通」

になっていくからです。

 

そして、この「普通」になってしまったものほど
自分では気づきにくくなります。

 

これは、最初に出てきた、

「力が入っていますよ」

と言われても、

「いや、力なんて入っていないけど?」

と感じる話にもつながってきます。

 

3歳、9歳、10〜20歳
――人はいつ「自分の普通」を作るのか

 

HBCの考え方を発達の流れに重ねてみると、さらに興味深くなります。

HBCを用いた説明では
おおまかに3歳頃までの「刷り込み」
9歳頃までの「イメージ記憶」「コトバ記憶」
そして10〜20歳頃に発達していく論理的な「計算」という捉え方があります。

 

ただし、この年齢をそのまま、

「3歳でここが完成する」

「9歳でここが完成する」

「20歳で脳が完成する」

という絶対的な境界として考える必要はありません。

 

現在の発達神経科学では
人間の脳はそのように決まった年齢で一段ずつ完成していくとは考えられていません。

発達する時期は機能や神経系によって異なります。
幼少期には非常に大きな変化が起こりますが、青年期にも脳の発達は続きます。
そして成人になってからも、学習や経験によって脳や神経系は変化します。

 

つまり、

「幼少期にすべてが決まってしまう」

わけではありません。

 

しかし一方で、幼い時期から積み重ねられる経験が
その後の発達に大きく関係することも分かっています。

ここで重要なのは、「何歳で完成するか」という数字そのものよりも、

「経験が積み重なることで、それが少しずつ『自分にとっての普通』になり
やがて意識しなくても働く反応の土台になっていく」

ということです。

 

最初は意識していたことでも、何度も繰り返すうちに意識しなくなる。

自転車に乗る。

文字を書く。

スマートフォンを操作する。

慣れた道を歩く。

会話する。

こうしたことを毎回、一つひとつ言葉にして考えてはいません。

 

そして、もっと分かりにくいところでも同じことが起こります。

 

人との距離の取り方。

緊張したときの反応。

何かを言われたときの受け取り方。

「失敗するかもしれない」と考える癖。

「ちゃんとしなければ」と思う癖。

 

それらも長く繰り返されれば、

「そう考えている」

というより、

「それが普通」

になっていくことがあります。

だからこそ、自分では気づきにくいのです。

 

 

「立てない」と言われても、なぜ普通なら立てるのか

 

ここから、催眠という角度で考えてみます。

普通に起きている人へ突然、

「あなたは椅子から立てません」

と言ったとします。

 

多くの人は、

「いや、普通に立てるでしょ」

と思います。

 

そして実際に立ちます。

でも少し考えてみると、不思議です。

 

「立てない」という言葉は、耳から入っています。

その意味も理解しています。

頭の中では「立てない」という状態をイメージすることもできます。

それでも通常は、その言葉通りの身体反応にはなりません。

 

そこには、

「そんなわけがない」

「自分は立てる」

「これはただ言われているだけだ」

「立とうと思えば立てる」

といった判断が加わっています。

 

HBCの言葉で考えるなら
こうしたところに「計算」という働きを重ねて見ることができます。

入ってきた言葉をそのまま受け取るのではなく
これまでの経験や記憶、知識などと照らし合わせ、

「これはどういう意味なのか」

「本当にそうなのか」

と評価する。

 

普段の生活では、こうした働きは非常に重要です。

言われたことを何でもそのまま信じていたら、日常生活そのものが成り立ちません。

 

ところが催眠では、この関係が少し面白くなります。

催眠への反応が生じているとき、人によっては、

「本当にそうなるのか?」

「自分でやっているだけでは?」

「これは正しい反応なのか?」

と逐一分析するよりも
暗示によって生まれるイメージや感覚そのものへ注意が向きやすくなることがあります。

 

たとえば、

「身体が重くなっていく」

と言われたとき、

「身体の重量が物理的に増えるわけがない」

と分析することもできます。

 

一方で、

「重いって、どんな感じだろう」

とその感覚に注意を向けることもできます。

すると、人によっては本当に身体が重く感じられる。

 

「手が動かしにくい」

という暗示なら、

頭では、

「動かそうと思えば動くはず」

と分かっている。

それなのに、実際に動かそうとすると、いつもとは違う感覚がある。

 

こうしたところに、催眠のおもしろさがあります。

もちろん、誰にでも同じ反応が起こるわけではありません。
催眠への反応には個人差があります。

 

また、現代の催眠研究でも、

「理性を担当する脳が眠るから催眠にかかる」

というような単純な説明はされていません。

 

注意、期待、想像、暗示、知覚、記憶、主体感、認知制御。

さまざまな働きが関係すると考えられています。

 

だからHBCを、脳の正確な配線図として見る必要はありません。

むしろ、このモデルを催眠という角度から眺めたときに面白いのは、

「人間の反応には、言葉やイメージから生まれる反応だけではなく
それを『そんなわけがない』『こうでなければならない』と評価し
修正しようとする意識的な働きも重なっている」

ということです。

 

そして、これは催眠術だけの話ではありません。

「緊張しないようにしよう」

「失敗しないようにしよう」

「気にしないようにしよう」

「ちゃんとリラックスしよう」

そう考えるたびに、自分の状態を確認する。
評価する。必要なら修正しようとする。

ところが、その「確認」や「修正」が強くなりすぎると、

「力を抜こうとしている自分」が、ずっと自分を監視し続けることになります。

 

ここで、最初の話へ戻ってきます。

 

「そんなことはない」が、自分自身を見えなくする

 

誰かから、

「肩にかなり力が入っていますよ」

と言われる。

 

でも本人には、その感覚がない。

だから、

「そんなことはない」

と思う。

 

「考えすぎじゃない?」

と言われても、

「別に考えてない」

と思う。

 

「かなり緊張しているように見えるよ」

と言われても、

「全然緊張してない」

と思う。

 

本人が嘘をついているわけではありません。

 

本人にとっては、それが本当に「普通」なのです。

 

自分にとって当たり前になったものほど、自分では見つけにくい。

 

ずっと肩に力が入っていれば、「力が入っている状態」が基準になります。

いつも人の顔色を確認していれば、それが普通になります。

何かを始める前に必ず失敗を想像していれば、それも普通になります。

いつも「ちゃんとしなければ」と思っている人にとっては
それさえ「頑張っている」という感覚ではないかもしれません。

 

そして、その「普通」を基準にして、新しく入ってきた情報を判断します。

 

「洗脳されている人ほど気づかない」は本当なのか

 

ここで、よく使われる「洗脳」という言葉について考えてみます。

「洗脳されている人ほど、自分が洗脳されていることに気づかない」

という言い方があります。

 

確かに、外から見れば不自然に思える考え方でも
本人にとっては筋が通っていることがあります。

ただし、日常的な思い込みや習慣と
一般に「洗脳」と呼ばれる強制的な思想・行動の変容を
同じ現象として扱うことはできません。

ここで注目したいのは「洗脳」という言葉そのものではありません。

 

もっと身近な、

「自分がすでに持っている前提を通して、新しい情報を見る」

という人間の性質です。

 

私たちは毎回、世界をゼロから判断しているわけではありません。

過去の経験。

記憶。

期待。

感情。

所属する集団。

成功体験。

失敗体験。

誰かから繰り返し言われたこと。

 

こうしたものを材料にして、目の前の出来事を解釈しています。

だから、

「自分は客観的に見ている」

と思っていても、完全に何の前提も持たずに見ているわけではありません。

 

さらに、一度信じた情報が訂正されたあとにも
その情報が判断へ影響を残すことがあります。

心理学では、こうした現象が
「継続的影響効果(continued influence effect)」として研究されています。

 

ただし、

「反対の証拠を見せると必ずもっと信じ込む」

というほど単純でもありません。

 

適切な訂正によって、人は考えを更新することもできます。

 

大切なのは、

「あの人は洗脳されている」

と他人を見ることではありません。

むしろ、

「自分にも、自分ではまだ見えていない『普通』があるかもしれない」

と考えてみることです。

 

では、「意識の力を抜く」にはどうすればいいのか

 

ここまで読んで、

「だったら意識の力を抜けばいい」

と思ったかもしれません。

 

ところが、ここで最初の問題に戻ります。

「よし、今から意識の力を抜こう」

そう思った瞬間、また意識で自分を操作し始めています。

 

「リラックスしよう」

「何も考えないようにしよう」

「もっと気楽になろう」

 

これでは、

「リラックスできているか?」

「考えていないか?」

「気楽になれているか?」

という、新しい監視が始まります。

 

そこで、最初に思い浮かべてもらった一枚の葉っぱへ戻ります。

 

小川に、一枚の葉っぱを落としてみる

 

山の中を、小さな川が流れています。

激流ではありません。

水の音が静かに聞こえるくらいの、緩やかな小川です。

 

そこへ、一枚の葉っぱを落としてみます。

 

葉っぱは、

「右へ行かなければ」

とは考えません。

 

「もっと早く進まなければ」

とも考えません。

 

岩にぶつかっても、

「失敗した」

とは考えません。

 

水が右へ流れれば右へ。

左へ流れれば左へ。

 

岩に当たれば、少し回る。

 

流れが弱くなれば、そこでしばらく漂う。

 

また水が動けば、そのまま進んでいく。

 

ただ、流れています。

 

ところが私たちは、ときどきその葉っぱを指でつまんで、

「そっちじゃない」

「もっと早く」

「止まるな」

「ちゃんと流れろ」

と動かそうとします。

 

その指を、少しだけ離してみる。

 

これが、「意識の力を抜く」という感覚に近いのかもしれません。

何もしないわけではありません。

思考を止めるわけでもありません。

すべてを諦めるわけでもありません。

 

ただ、

必要以上に流れを操作しない。

 

 

「そうなんだ」で、一度終わらせてみる

 

嫌な考えが浮かんだ。

「考えちゃダメ」

ではなく、

「そういうことを考えてるんだな」

 

緊張している。

「リラックスしないと」

ではなく、

「今、緊張してるんだな」

 

身体に力が入っている。

「力を抜かなきゃ」

ではなく、

「ここに力が入ってるんだな」

 

不安になった。

「不安になってはいけない」

ではなく、

「今、不安なんだな」

 

そこで、一度終わらせてみる。

すぐ直さない。

消さない。

追い出さない。

すぐに原因を探さない。

無理にポジティブへ変換しない。

「そうなんだ」

くらいで置いてみる。

 

これは、「何でも受け入れて我慢する」という意味ではありません。

起きていることを、まず起きていることとして見る。

必要なら、そのあとで行動すればいい。

手放すという言葉も同じです。

「手放そう、手放そう」

と頑張らなくていい。

手放すとは、何かを遠くへ投げ捨てることではなく、

「握っている手を開くこと」。

それくらいでいいのかもしれません。

 

「眠らなければ」と思うほど、眠れなくなる

 

この構造が非常に分かりやすく現れるものがあります。

睡眠です。

 

 

明日は朝が早い。

「早く寝ないと」

 

時計を見る。

「あと6時間しかない」

目を閉じる。

「寝ないと」

少し経つ。

「まだ寝てない」

また時計を見る。

「あと5時間半しかない……」

 

いつの間にか、「眠る」という自然に起こる現象が
「成功させなければならない課題」へ変わっています。

 

眠ろうとする。

眠れたか確認する。

まだ眠れていない。

焦る。

さらに眠ろうとする。

この循環です。

 

不眠への心理的アプローチには
「paradoxical intention(逆説志向)」という方法があります。

 

「何としてでも眠らなければ」という努力や
睡眠に対するパフォーマンス不安を弱める方向へ切り替える考え方です。

2022年の系統的レビュー・メタ解析では10の研究が検討され
受動的な対照条件との比較では
不眠症状や睡眠に関するパフォーマンス不安への有効性が示されました。

一方で、研究の質や比較条件には限界があり
万能な方法と断定できるものではありません。

 

ここでも出てくるのは、

「もっと頑張る」

とは少し違う方向です。

 

「米軍式睡眠法」が面白いのも同じところ

 

SNSなどで「米軍式睡眠法」と呼ばれる方法を見たことがあるかもしれません。

 

顔の筋肉。

肩。

腕。

胸。

脚。

身体の各部分に残っている緊張を、順番に緩めていく方法です。

 

一般に知られているこの方法は
第二次世界大戦期に米海軍航空兵のリラクゼーション訓練に関わった
陸上競技コーチ、バド・ウィンターの著書『Relax and Win』を通して
広く知られるようになりました。

 

インターネットでは「2分で眠れる」「6週間で96%が成功した」
といった数字も広く紹介されています。

ただし、これらの数字を
現在の査読付き臨床研究によって確立された医学的事実として扱うのは
慎重になる必要があります。

 

それでも、この方法には今回のテーマと重なる面白いところがあります。

「眠れ」

と力ずくで眠ろうとするのではなく
身体に残っている余計な緊張を、一つずつ緩めていく。

眠りそのものを直接コントロールしようとするのではなく
眠りを邪魔しているかもしれない「力み」を減らしていく。

この方向です。

 

瞑想は「何も考えないこと」ではない

 

瞑想にも、よくある誤解があります。

 

「頭を空っぽにする」

「雑念を完全になくす」

「何も考えない」

 

しかし、多くのマインドフルネス系の実践では
思考を完全に消すことを目標にはしません。

 

考えが浮かぶ。

「あ、考えていた」

と気づく。

 

注意を戻す。

 

また考える。

 

また気づく。

 

戻す。

 

つまり、

「考えてはいけない」

ではなく、

「考えていることに気づく」。

 

この差は、小さいようでかなり大きい。

 

リラックスとは、必ずしも「ぼーっとすること」でもありません。

力みは少ない。

でも、気づいている。

静かだけれど、意識はある。

 

この状態は、今回の「意識の力を抜く」という話を考えるうえで
一つのヒントになります。

 

 

意識の力を抜けば「無意識が100%働く」のか?

 

ここも誤解しやすいところです。

 

「意識を休ませれば、無意識が100%働く」

「催眠になると意識が止まる」

「右脳だけが働く」

 

こうした単純な説明を、現在の脳科学が支持しているわけではありません。

 

脳の中に、「意識担当」と「無意識担当」という
二つの装置がきれいに分かれているわけでもありません。

 

それでも、私たちの行動や知覚の多くに
意識的な処理だけではない自動的な処理が関わっていることは重要です。

 

歩く。

話す。

物をつかむ。

慣れた動作をする。

姿勢を調整する。

人の表情を読む。

 

そのすべてを、一つひとつ言葉で計算しているわけではありません。

 

だから、

「意識的に強くコントロールすることが、いつでも最善とは限らない」。

 

スポーツ。

演奏。

会話。

睡眠。

呼吸。

瞑想。

そして

催眠への反応。

 

もちろん、これらすべてが同じ神経メカニズムで起きているわけではありません。

 

ただ、

「うまくやらなければ」

という過剰な自己監視が、自然な反応を邪魔することがある。

そこには、今回の話を横断する一つの共通点があります。

 

もしかすると必要なのは、「もっと頑張ること」ではない

 

何かがうまくいかないと、

 

もっと集中しよう。

もっと考えよう。

もっと頑張ろう。

もっとコントロールしよう。

 

私たちは、そう考えがちです。

 

もちろん、それが必要な場面もあります。

でも、ときには逆かもしれません。

すでに十分頑張っている。

むしろ、頑張っていることに本人だけが気づいていない。

だから、さらに頑張る。

さらに確認する。

さらにコントロールする。

そして、さらに力が入る。

そんな循環もあります。

 

そういうとき、新しく、

「力を抜かなければ」

という課題まで追加しなくていい。

 

「あ、自分はいま、何とかしようとしているんだな」

と気づく。

 

それだけでもいい。

 

川の流れを変える前に、自分が葉っぱをつまんでいたことに気づく。

 

そこからです。

 

マジックと催眠術から見えてくる「自分の意識」

 

愛媛県松山市三番町のSpread Oneでは
マジックと催眠術という二つの異なる不思議を、参加型の体験として扱っています。

 

 

マジックでは、

「ちゃんと見ていたはずなのに」

という「見る不思議」が起こります。

 

催眠術では、

「頭では分かっているのに、身体の感覚が不思議」

「自分で動かしているはずなのに、いつもとは少し違う」

という「自分の中に起きる不思議」を感じることがあります。

 

もちろん、マジックと催眠術は同じ仕組みではありません。

 

催眠術への反応にも個人差があります。
無理に催眠術をかけることもありませんし、参加せずに見ているだけでも構いません。

 

でも、この二つには面白い共通点があります。

 

それは、

「自分は自分のことを全部分かっている」

という感覚を、少し揺らしてくれること。

 

私たちは、目に入ったものをすべて意識しているわけではありません。

 

身体の反応をすべて意識的に作っているわけでもありません。

 

自分の判断が何から影響を受けているのかも
すべて把握しているわけではありません。

 

だからこそ、意識をもっと強くすることだけが答えとは限らない。

 

ときには、

「こうならなければ」

を置いてみる。

 

「正しく感じなければ」

も置いてみる。

 

そして、自分の中で何が起きるのかを見てみる。

 

マジックで体験する「見る不思議」。

 

催眠術で体験する「自分の中に起きる不思議」。

 

瞑想で観察する意識。

 

睡眠で経験する、意識では直接命令しにくい身体。

 

HBCというモデルから見えてくる、経験、記憶、イメージ、言葉、判断の重なり。

 

そして現代の心理学や脳科学が研究し続けている、意識的な処理と自動的な反応。

 

分野も、研究方法も、説明の仕方も違います。

 

けれど、それらをさまざまな角度から眺めていくと、一つの問いが残ります。

「私たちは、自分自身のことをどこまで意識できているのだろう?」

 

Spread Oneで大切にしているのも
何かを無理に信じてもらうことではありません。

 

マジックも、催眠術も。

まず、自分で見る。

興味があれば参加してみる。

そして、自分の中で起きたことを、自分で確かめてみる。

 

「へぇ、こんなこともあるんだ」

それくらいでもいい。

 

道後温泉や愛媛・松山観光のあと、デートや友人との時間
一人で少し変わった体験をしてみたいときにも
三番町の体験型Cafe & Barとして
普段とは少し違う角度から「自分の意識」に触れられる場所です。

 

 

答えを急いで決めなくてもいい。

最初に思い浮かべた、小川に浮かぶ一枚の葉っぱ。

流れを変えようとせず、

行き先を決めようとせず、

少しだけ、

つまんでいた指を離してみる。

 

そして、

「そうなんだ」

と眺めてみる。

 

すると、ずっと自分では「普通」だと思っていたものの中に、

まだ自分でも気づいていなかった何かが――

静かに見えてくるのかもしれません。